トラウマは存在しない!?人は目的にかなう行動をとっている【アドラー心理学】
2023-02-07 by 内田裕之
- 「過去に親との関係が良くなかったから苦しい人生を送っている」
- 「大失恋を経験したから結婚できない」
この記事はそんな方へ向けて書いています。
こんにちは。
人生をより良くするために心理学を学ぶうっちゃんです。
過去につらい経験があったから人生が苦しいと悩んでいませんか?
実はトラウマは存在せず、人は目的にかなう行動をとっています。
この記事ではアドラー心理学の本「嫌われる勇気」の第一章から学んだことを紹介します。
人間関係を良くする知識として役立つと嬉しいです。
参考文献↓
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■目次
嫌われる勇気から学んだこと
嫌われる勇気はアドラー心理学の本質を対話形式で教えてくれる本です。
アルフレッド・アドラーはフロイト、ユングと並び心理学の三大巨頭と称されるほど偉大な人物です。
世界的名著「人を動かす」の著書D・カーネギーなど自己啓発のメンターたちに多大な影響を与えています。
「どうすれば人は幸せに生きることができるか」
アドラーはきわめてシンプルかつ具体的な答えを教えてくれます。
今回は嫌われる勇気の第一章トラウマを否定せよから学んだことを紹介します。
トラウマは存在しない
「恋人に裏切られた過去があるからもう恋愛ができない」
「親との関係が良くなかったから引きこもりになっている」
過去にAがあったから今Bができない、はトラウマとしてよく聞く話です。
でも、アドラー心理学ではトラウマを否定します。
人は目的にかなう行動をする
人は目的にかなう行動をするとアドラーは教えてくれます。
例えば恋愛できない人は「恋愛で傷つきたくない」、引きこもりの人は「親の気を引く」などの目的があります。
必ずしも人は意識して目的を選んでいるわけではありません。
それは人から指摘されてようやく気づくこともあるほどです。
目的をかなえるためには何でもありです。
- 感情を使う。怒り、悲しみなど
- (都合の良い)過去を持ち出し、トラウマと呼ぶ
- 病気や痛みを生む
- 性格や特性をもつ
- 行動を活発にしたり制限したりする。
プライドの本当の正体
プライドの本当の正体は「可能性のなかで生きる」ことです。
これは本当にやっかいです。
「もしもAだったらBできたのに」
自分の頭の中で「できる自分」を残しておけるので安心できます。
また、何もできない自分を認める必要がないので傷つきません。
自分を変えるには勇気が必要
自分を受け入れる、認めるとは「可能性のなかで生きるのをやめること」です。
実践して失敗する。
自分は何もできないんだ。
だから学んで改善しよう。
そう考えた時に初めて人は成長します。
必要なのは勇気だけです。
できない自分を受け入れる勇気。
いまの自分のレベルを認める勇気。
勇気をもつ大変さと大事さを教えてくれるのが嫌われる勇気だと思います。
私の人生を振り返る
アドラー心理学を自分に当てはめて過去を振り返りました。
お恥ずかしい話が多いですが、これも自分を受け入れることだと思います。
ご自身の過去にアドラー心理学を当てはめるときに参考にしていただければと幸いです。
ラグビー部をやめたい
小学校6年生から始めたラグビー部。
当時は体格が良かったこともあり、中学生まではチーム内で活躍していました。
しかし、高専に入ってから体格差や足の速さなどが劣るようになり、全く活躍ができずにいました。
そして18歳ごろからラグビー部を辞めたいと思うようになりました。
いま振り返ると「ラグビーが下手な自分を受け入れられない」ことが原因だと思います。
これも可能性のなかで生きることです。
ラグビー部を辞めれば、チーム内でどんなことが起きるのか?
- 残ったメンバーが「彼さえいれば」と思ってくれる
- ラグビーが下手な自分を認めずに済む
当時は気づいていませんでしたが、今振り返るとこのような気持ちがあったと思います。
ただ父がやめることを認めてくれず、1年ほどは続けました。
そこで今度は体が反応しました。
頚椎ヘルニアになったのです。
軟骨の一部がつぶれて頻繁にバーナー現象を起こすようになり、ラグビーを続けにくい状態になりました。
父も仕方ないとあきらめ、ラグビー部をやめることになりました。
そのとき私はほっと安心したことを覚えています。
仕事ができないのを認めたくない
20歳で就職して大手化学メーカーの研究職に就きました。
人事評価も良くて成果も出していたので順調ではありました。
しかし、5年目の後半6ヶ月でやめたい気持ちが強くなり、退職しました。
それは暇だったからです。
当時はメインの研究テーマを上司が担当しており、私は遊撃手のような位置づけでした。
顧客先の製品トラブルに対応したり、基礎データの取得が役割です。
これはメインテーマを止めないための分担です。
ただ、製品トラブルもあまり起きず、上司の仕事も忙しくなった影響で3ヶ月ほど暇になりました。
毎日出社はするけど、仕事はないのでネットサーフィンして帰るだけ。
次第に自分がいる価値を見いだせず辞めました。
いま振り返れば、これも「仕事ができない自分を認められない」目的があったと思います。
上司が忙しいということは、仕事はたくさんあるわけです。
でも、私がその一部でも担当する能力がなかった。
できる仕事を増やして上司からもらうなり、テーマ提案を増やすなりできることはたくさんあったと思います。
でも、退職することで職場でどんなことが起きるのか?
- 残ったメンバーが「彼さえいれば」と思ってくれる
- 仕事ができない自分を認めずに済む
今振り返るとこのような気持ちがあったと思います。
人と話したくない
中学生と高専生のころ、私は父の再婚相手とは不仲でした。
話しかけるたびに怒られ、目が合うたびに指摘をされる。
家にいること、家族でいることが嫌になり、実家を避けていました。
そこには「人と話すと怒られる」という思い込みがあったと思います。
だから「人と話さない」目的のために声を小さく、言葉足らずになることを無意識的に選びました。
まさしく間違った思い込みです。
- 声が聞こえない
- 自信がなさそう
- 言い返してこないから意見を強く言いやすい
- 言葉足らずなので説明が分かりにくい
このような特徴から保険代理店ではクレームや指導をたくさん受けました。
相当しんどかったです。
長続きせず、2年も満たずに退職しました。
女性に嫌われたくない
高専時代から24歳まで、女性から気になると言われ、話しかけたら冷められる経験を5回はしました。
これも相当しんどかったです。
自信をなくしますし、傷つきたくない。。
「傷つきたくない」目的のために女性に流されるような生き方をしていました。
あるときは12歳年上で体重100kg近くある女性の家に連れて行かれたり。
20歳の女性にホストに連れて行かれ財布にされたり。
48歳の女性にホテルに連れて行かれたり。
朝には何やってんだろうと不思議に思っていました。
居場所がほしい
愛媛は親族の中でも初上陸でしたので、知り合いが一人もいませんでした。
休日に遊べる人がほしい、でも会社の人は仕事話になるので嫌だ。
実家とは不仲なので頼るところもない。
「居場所がほしい」
そんな思いで週末は深夜2時まで飲み歩いていました。
女性に流されていたのも居場所がほしい思いがあったからだと思います。
結婚したいま振り返れば、居場所は自分で作るものだったと思います。
他人に作ってもらうのではなく、自分でつくるくこと。
その気持ちがあれば人生はいつでも変えられることを嫌われる勇気で学びました。
まとめ
今回はアドラー心理学の本「嫌われる勇気」の第一章から学んだことを紹介しました。
- 人は目的にかなう行動をとっており、ときに感情・病気・性格を使う。
- 可能性のなかで生きることをやめる勇気を持てば人生は好転する。
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ここまで読んでいただきありがとうございます。
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